著者、内村鑑三


  

 

内村鑑三は武士階級に属していました

彼は「生まれつき」のキリスト者ではありません。

 

「クリスチァンになること - 

それは絶対にならない。」

と彼は考えたが、結局

  クリスト者になりました。

 

 (内村鑑三

 「余は如何にして基督信徒となりし乎」

  岩波文庫 ISBN4-00-331192-2  CO116)

 



私は日本のため、

日本は世界のため、

世界はキリストのため、

そしてすべては神のため。

     (内村の墓碑文)

 



I for Japan,

Japan for the World,

The World for Christ,

And all for God.

( Inscription on Uchimura's

gravestone)



Ich für Japan,

Japan für die Welt,

die Welt für Christus

und alles für Gott.

(Utschimuras Grabspruch)

 




内村の生涯と現代までの影響


 

1861年3月23日に江戸(東京)で生まれました。父は高崎藩の江戸詰藩士。札幌農学校に二期生として入学(1877.7)したのは、クラーク(WilliamS.Clark)が「Boys, be ambitious」という言葉を残して札幌を去った3ヶ月後であった。に

在学中にクラークが起草した「イエスを信じるの契約」に署名。卒業後、新渡戸稲造、宮部金吾らと共に札幌基督教会)現在の札幌キリスト教会を設立 (1882.1)。 

 

農商務省等経て米国アマスト大学へ留学。帰国後(1888.5)教師、ジャーナリスト、著述家の経験をした後、1900年(明治33年)「聖書乃研究」という月刊誌を創刊。1902年より聖書研究会を開始。

 

教派によらない無教会キリスト教を提唱。30年間に多くの著作を残した。例えば、岩波文庫にて[基督信徒のなぐさめ」(1893)、「余は如何にして基督信徒となりし乎」(英語の原文How i became a Christian)(1895)、後世への最大遺物」(1897)等が出版されている。1930年3月28日死去、69歳。

 

内村門下の中には、戦後初代東大総長であった南原繁、戦争中に東京大学を追放され、戦後二代目の総長となった矢内原忠雄、伝道者であった塚本虎二、藤井武など後世に大きな影響力を持った人物が排出している。

 

現在も内村の流れを汲む無教会キリスト者は全国で無教会集会を持っている。また東京には無教会キリスト者によって運営されているいる二つの学生寮、春風学寮と登戸学寮があり、東京の今井館においては、内村及び門下生たちの著作、無教会キリスト教に関する資料を閲覧することができる。

 



内村はしばしば、キリスト教の背景がない日本人としてどうしてキリスト者になったのか、聞かれました。説明してあげましょう、と彼は考えてその有名なロング・セラーを書きました。

 

How I became a Christian

 

余は如何にして基督信徒となりし乎

 

Wie ich ein Christ wurde

 

私たちは、内村の英語原文を部分的に日本語に訳し、福音史の中の内村の使命と

私たちに向かって聖書から習った彼の最も重要な言葉をまとめました。

 

内村鑑三、日本の侍の子から国際的なキリスト者へ

 

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